
仏教での「どうでも良いと思いなさい」の意味
仏教で説かれる「どうでも良いと思いなさい」は、物事に対する過度な執着や期待を手放し、心に軽やかな自由をもたらす考え方です。
これは無責任に放棄するのではなく、対象へのこだわりを離れたうえで現実をありのままに受け入れる智慧とされます。
自暴自棄とは
自暴自棄は、自分の感情や状況を否定し、未来への希望を捨て去ってしまう精神状態です。
- 自分を傷つける行動(過度の飲酒・ギャンブル・自傷など)
- 社会的責任や約束の放棄
- 「もうどうでもいい」「死にたい」など、強い絶望感
両者の主な違い
- 目的意識
- 「どうでも良いと思う」:執着からの解放を通じて苦しみの軽減と慈悲の実践を目指す
- 自暴自棄:無力感からの逃避であり、自己や他者への慈しみを欠く
- 心のあり方
- 「どうでも良いと思う」:中道を保ち、心を明晰にする
- 自暴自棄:極端なネガティブ感情に支配され、視野が狭まる
- 結果
- 「どうでも良いと思う」:安定した精神状態を獲得し、他者への支援や行動が可能になる
- 自暴自棄:行動力や社会的つながりが失われ、一層の孤立や破滅を招く
比較表
| 観点 | 仏教的「どうでも良い」 | 自暴自棄 |
|---|---|---|
| 根本の動機 | 執着からの解放と慈悲の実践 | 絶望感・無力感 |
| 心理的効果 | 平静・明晰・他者への思いやり | 混乱・閉塞感・孤立 |
| 行動への影響 | 必要な行動は責任感をもって行う | 責任放棄・自己破壊的行動 |
| 長期的な帰結 | 精神的成長・苦しみの軽減 | さらなる苦痛・社会的孤立 |
実生活への応用例
- 日常の小さな執着に気づいたら、一呼吸置いて「今は手放そう」と唱えてみる
- 絶望的な気持ちが湧いたとき、紙に書き出して客観視する
ちょっと個人的な話 (追記)
ここまで書いていてふと思ったのですが、自分は仏教徒ではありません。
「仏教徒でない」だけでなく無宗教です。ただ、お釈迦さんの考え方が好きなだけなんです。
ちなみに、江戸時代以降の檀家制度(お坊さんが葬式に関わるようになった制度)にはあまり共感できないところもあります(^^;)
それから、「神様を信じるか?」と聞かれたら、ちょっと微妙です。
自分は「自分自身が神様だ」と思って生きています。
というのも、みんな、全員が──もっと言えば、物や自然も──神様なんじゃないかと思います。
悟りと同じで、全知全能でなくても、悩みがあっても悟りは開けます。
だから、自分は自分が神様だと思うし、みんなも、すべての存在が神様だと思っています。